本音を書くって難しい
このブログでは本音を書くと宣言して1ヶ月以上記事が空いてしまいました。実はその間何度も記事を書こうと思って下書きを書いたことはあったのです。しかし、思うまま本音を書いていると、書いている途中で、このまま公開しいてよいか気になって下書きのままでお蔵入りすることが多々ありました。
批判的な記事は不快な気分になる人がいる
その記事を見返してみると、批判的なことが多いんですよね。例えば、夏休み中に見たお昼のテレビのつまらなさだったり、たまたま見た映画のつまらなさだったり、ホッテントリに上がっていた記事の反対意見だったり。
批判的な記事って、私が批判した対象を好きな人が見た場合、いい気はしません。それなら見なきゃいいとは思うのですが、見る見ないはその人の自由ですし。そう考えると、人を不快にさせる記事を書くことにすごく抵抗があって公開するまでもっていけないんですよね。そういう記事ばかり書いて人を煽ってPVを集める手法をわざととっているブロガーさんがいることも承知していますが、私にはなかなか出来ません。
批判的な記事を求めている人が多い?
でも世の中の人達はそういった本音で物事をズバリ批判する記事を求めている気もします。例えば最近のホッテントリに入っている記事の多くが、物事をズバリ批判する増田(AnonymousDiary)記事だったりしますよね。やっぱり世の中の人たちは常に批判的な考えを持っていて、それを言ってくれる人を待っているのかと思ったりもします。
毒吐きモンスター
ちょっとここで自分の話になりますが、実は私は妻から「緑の血が流れいている」とまで言われるほど物事を斜めから見ています。例えばテレビ。感動的なシーンがあっても絶対に演出だと思いますし、ドッキリなんか全て事前承諾済みだし、24時間テレビなんて(略)。。そんなことを家の中で言ってるので妻からは「毒吐きモンスター」とか「緑の血が流れてる」とか言われる始末です。
まぁ妻が純粋過ぎる気もするんですけどね。プロレスはずっとガチだって信じてたみたいですし(八百長とかって意味じゃなくて技は必ず受けるなどのルールがちゃんとあるということ)。バラエティとか若者がシェアハウスで暮らすやつとかもすべてガチって信じてたみたいですし。
理想は好意的な記事
そんなわけでそういう批判をブログで公開したいという欲求はあります。でもなかなか記事には出来ませんでした。やっぱり批判的なことを書いて誰かに嫌われるよりは、好きなことを好意的に書いて、それに同意する人達から支持されて、褒めて褒められが気持ちいいんですよね。誰も傷つけず自分も傷つかない。メインブログはその方向性でずっとやってきました。そのおかげか、ほとんど批判的なコメントをもらうことはありませんでした。それでも0ではないですけど。
今後の方向性
でもこのブログでは言ってもいいかな。。。今後は軽いところから少しずつ少し切り込んだ内容の記事を書いてみようとは思います。もちろん感情的にただ嫌い!じゃなくて、ちゃんと相手の意見も認めて、でも自分の意見もある場合に限りますけど。